いろいろ勉強させていただきました。
2017年9月3日 22時06分40秒 (Sun)

お義母さんが亡くなって、週末は川西と倉吉を2往復しました。
いつもボキのブログでガキどもの写真を見るのを楽しみにしていただいてて、何日か更新しないとボキの事を心配していただいて、お世話になってばかりでした。
葬儀が終わって、夕焼けがキレイやったンゴ。。。

今帰宅して、飲んでます。
斎場でガキどもとお義母さんのお骨を拾った直後に、ボキの股関節キーホルダーをガキどもにこっそり見せて、
『秘密やぞ。こっそりちゃーちゃんの骨をパクってきた』
って騙したら、ガキどもの顔がひきつってたわ。
HAHAHA.
とりあえずもうちょっと飲みます。
コメント
篠登録ユーザー
無題
お悔やみ申し上げます。
僕も7月に可愛がってくれていた祖母が亡くなりました。
精神的につらくなりやすいので、無理なさいませんよう。
僕も7月に可愛がってくれていた祖母が亡くなりました。
精神的につらくなりやすいので、無理なさいませんよう。
投稿日:2017年9月3日 23:10
中谷知生登録ユーザー
無題
〉篠氏
人間は死者ともコミュニケーションできるというか、死者とのコミュニケーションこそが人間的コミュニケーションの原型である、というのが私の考えである。
だって、人間以外の動物は死者とコミュニケーションしないからである。
葬儀というものを行うのは人間だけである。
「正しい葬送儀礼を行わないと死者が祟る」という信憑を持たない社会集団は存在しない。
「正しい葬送儀礼」を行うと、死者は「去る」。
「葬送儀礼」を誤ると(あるいはネグレクトすると)、死者は「戻ってくる」(「幽霊」をフランス語ではrevenant 「再帰するもの」と言う)。
そして、「正しい葬送儀礼」、つまり死者をして去らしめる唯一の儀礼とは、死者を忘れることではない。
正しい喪の儀礼とは、「死者があたかもそこに臨在しているかのように生者たちがふるまう」ことなのである。
手を伸ばせば触れることができるように、語りかければ言葉が届くかのようにふるまうことによって、はじめて死者は「触れることも言葉が届くこともない境位」に立ち去る。
死者に向かって「私たちはあなたといつでもコミュニケーションできるし、これからもコミュニケーションし続けるだろう」と誓約することによって、死者は生者たちの世界から心安らかに立ち去るのである。
というふうに私たちは信じている。
この逆立したコミュニケーションの構造が人間の人間性を基礎づけている。
コミュニケーションは「あなたの言葉がよく聴き取れない」と告げ合うものたちの間でのみ成立する。
「だから、もっとあなたの話が聴きたい」という「懇請」(solicitation)がコミュニケーションを先へ進める。
「あなたの言うことはよく分かった」と宣言したときにコミュニケーションは断絶する。
それは恋愛の場面で典型的に示される。
「あなたのことがもっと知りたい」というのは純度の高い愛の言葉だが、それは言い換えれば「あなたのことがよくわからない」ということである。
論理的に言えば「よくわからない人間のことを愛したりすることができるのだろうか?」という疑問だって「あり」なのだが、そんなことを考える人間はいない。
逆に、「あなたって人間がよくわかったわ」というのは愛の終わりに告げられることばである。
「あなたって人間のことがよくわかったから、結婚しましょう」というように言葉が続くことはない。
それと同じく、逆説的なことだが、コミュニケーションは「それがまだ成立していない」と宣言することで生成し、「それはもう成立した」と宣言したときに消滅するのである。
喪の儀礼も同一の構造を有している。
それは死者に向かって「あなたはまだここにいる」と伝えることによって死者を「ここではない場所」に送り出す機制なのである。
私たちは全員が「潜在的死者」である。
だから、葬送儀礼を生者の側において執り行うときに、私たちは「安らかに死ぬこと」とはどういうことかを先取り的に経験している。
「あなたはまだここにいる」と生者たちから告げられたときに、「私は安らかに死ぬだろう」
そういう信憑を私たちは幼児期から繰り返し刷り込まれている。
この信憑から個人的な決断によって逃れることはできない。
「オレはそんなのやだよ」と言ってもはじまらない。
この信憑が人間の人間性を基礎づけている「原型」だからである。
死者に対して「あなたは生きている」と告げることばは、それが真実な思いからのものであれば、「死者に届く」。
私のこのふるまいは死者を慰めるか?
私のこのことばを死者は嘉納するか?
私からのメッセージは死者に正しく伝わるか?
そのような問いをもって生者たちはその生き方の規矩としている。
死の淵を覗き込んでいる人間に必要なのは、おそらく「死んでもコミュニケーションは継続する」ということへの確信であろう。
数十万年前に人類の始祖たちがこのような信憑を採用して、それを社会制度の基礎に据えたのは、それが万人に例外なく訪れる死を苦痛なく受け容れる上でもっとも効果的であるということを知ったからである。
私はそんなふうに考えている。
…やっぱりタッツーはええこと言いますねぇ。
人間は死者ともコミュニケーションできるというか、死者とのコミュニケーションこそが人間的コミュニケーションの原型である、というのが私の考えである。
だって、人間以外の動物は死者とコミュニケーションしないからである。
葬儀というものを行うのは人間だけである。
「正しい葬送儀礼を行わないと死者が祟る」という信憑を持たない社会集団は存在しない。
「正しい葬送儀礼」を行うと、死者は「去る」。
「葬送儀礼」を誤ると(あるいはネグレクトすると)、死者は「戻ってくる」(「幽霊」をフランス語ではrevenant 「再帰するもの」と言う)。
そして、「正しい葬送儀礼」、つまり死者をして去らしめる唯一の儀礼とは、死者を忘れることではない。
正しい喪の儀礼とは、「死者があたかもそこに臨在しているかのように生者たちがふるまう」ことなのである。
手を伸ばせば触れることができるように、語りかければ言葉が届くかのようにふるまうことによって、はじめて死者は「触れることも言葉が届くこともない境位」に立ち去る。
死者に向かって「私たちはあなたといつでもコミュニケーションできるし、これからもコミュニケーションし続けるだろう」と誓約することによって、死者は生者たちの世界から心安らかに立ち去るのである。
というふうに私たちは信じている。
この逆立したコミュニケーションの構造が人間の人間性を基礎づけている。
コミュニケーションは「あなたの言葉がよく聴き取れない」と告げ合うものたちの間でのみ成立する。
「だから、もっとあなたの話が聴きたい」という「懇請」(solicitation)がコミュニケーションを先へ進める。
「あなたの言うことはよく分かった」と宣言したときにコミュニケーションは断絶する。
それは恋愛の場面で典型的に示される。
「あなたのことがもっと知りたい」というのは純度の高い愛の言葉だが、それは言い換えれば「あなたのことがよくわからない」ということである。
論理的に言えば「よくわからない人間のことを愛したりすることができるのだろうか?」という疑問だって「あり」なのだが、そんなことを考える人間はいない。
逆に、「あなたって人間がよくわかったわ」というのは愛の終わりに告げられることばである。
「あなたって人間のことがよくわかったから、結婚しましょう」というように言葉が続くことはない。
それと同じく、逆説的なことだが、コミュニケーションは「それがまだ成立していない」と宣言することで生成し、「それはもう成立した」と宣言したときに消滅するのである。
喪の儀礼も同一の構造を有している。
それは死者に向かって「あなたはまだここにいる」と伝えることによって死者を「ここではない場所」に送り出す機制なのである。
私たちは全員が「潜在的死者」である。
だから、葬送儀礼を生者の側において執り行うときに、私たちは「安らかに死ぬこと」とはどういうことかを先取り的に経験している。
「あなたはまだここにいる」と生者たちから告げられたときに、「私は安らかに死ぬだろう」
そういう信憑を私たちは幼児期から繰り返し刷り込まれている。
この信憑から個人的な決断によって逃れることはできない。
「オレはそんなのやだよ」と言ってもはじまらない。
この信憑が人間の人間性を基礎づけている「原型」だからである。
死者に対して「あなたは生きている」と告げることばは、それが真実な思いからのものであれば、「死者に届く」。
私のこのふるまいは死者を慰めるか?
私のこのことばを死者は嘉納するか?
私からのメッセージは死者に正しく伝わるか?
そのような問いをもって生者たちはその生き方の規矩としている。
死の淵を覗き込んでいる人間に必要なのは、おそらく「死んでもコミュニケーションは継続する」ということへの確信であろう。
数十万年前に人類の始祖たちがこのような信憑を採用して、それを社会制度の基礎に据えたのは、それが万人に例外なく訪れる死を苦痛なく受け容れる上でもっとも効果的であるということを知ったからである。
私はそんなふうに考えている。
…やっぱりタッツーはええこと言いますねぇ。
投稿日:2017年9月4日 07:47
篠登録ユーザー
無題
なんというか、師匠の機能というのはこちらにやる気を起こさせることで、全然追いつくことのできないとてつもない学識があると思わせることができれば師匠の勝ちなんだよね。
やってもやってもおいつけねぇや、と思わせるのが師匠の機能なわけで。
僕たちの師匠だからでしょうかね。
やってもやってもおいつけねぇや、と思わせるのが師匠の機能なわけで。
僕たちの師匠だからでしょうかね。
投稿日:2017年9月4日 20:52
この記事にコメントする
- ブログ
- 0207 神戸西支部さま
- T-Supportに関する学会発表一覧
- 1.T-Supportが完成するまでの研究
- 2.T-Support装用時の力学的な変化についての研究
- 3.T-Support装用時の筋電図変化についての研究
- 4.T-Support装用時の歩行因子の変化についての研究
- 5.T-Supportの弾性バンドの伸長に関する研究
- 6.T-Supportによる長下肢装具の膝の固定解除に関する研究
- 7.T-Supportが効果を発揮する条件に関する研究
- 8.T-Supportを装用した走行動作に関する研究
- 9.T-Support使用時にケツにパッドを用いる研究
- 10.T-Supportの継続利用に関する研究
- 11.T-Supportと他の歩行補助機器の効果比較に関する研究
- 12.T-Supportの伸長と聴覚刺激の併用に関する研究
- 13.T-Supportを使って3人4脚したらどんなことが起きるか、って研究
- 14.在宅生活でT-Supportを使ってみた
- 15.T-Supportが整形外科疾患の患者さんの歩行動作に及ぼす影響に関する研
- 16.T-Supportの弾性バンドを3本使ったら何が起こるか?に関する研究
- 17.歩行コンテストという試み
- TSTraining理論
- キャリアラダーについてまとめてみた
- 観察による歩行分析Basic&Advance 2012に行ってきた
- WCPT2017で発表してきた
プロフィール
- ニックネーム
- 中谷知生
Tomoki Nakatani - 所在地
- 兵庫県宝塚市にある、宝塚リハビリテーション病院に勤めています。
- 職業
- 理学療法士です。
Certificated physical therapist in Neurology
- 自己紹介
- I am interested in physiotherapy for improvement of gait ability of a patient with stroke hemiplegia.
And I'm a member of Japan Physical Therapy Association stroke guideline crew.
最近の記事一覧
blog
8月 2026年9月 10月 | ||||||
| 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | ||
| 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 |
| 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 |
| 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 |
| 27 | 28 | 29 | 30 | |||
携帯用QRコード
- アクセス数

- ページビュー数

- ブログ
- 0207 神戸西支部さま
- T-Supportに関する学会発表一覧
- 1.T-Supportが完成するまでの研究
- 2.T-Support装用時の力学的な変化についての研究
- 3.T-Support装用時の筋電図変化についての研究
- 4.T-Support装用時の歩行因子の変化についての研究
- 5.T-Supportの弾性バンドの伸長に関する研究
- 6.T-Supportによる長下肢装具の膝の固定解除に関する研究
- 7.T-Supportが効果を発揮する条件に関する研究
- 8.T-Supportを装用した走行動作に関する研究
- 9.T-Support使用時にケツにパッドを用いる研究
- 10.T-Supportの継続利用に関する研究
- 11.T-Supportと他の歩行補助機器の効果比較に関する研究
- 12.T-Supportの伸長と聴覚刺激の併用に関する研究
- 13.T-Supportを使って3人4脚したらどんなことが起きるか、って研究
- 14.在宅生活でT-Supportを使ってみた
- 15.T-Supportが整形外科疾患の患者さんの歩行動作に及ぼす影響に関する研
- 16.T-Supportの弾性バンドを3本使ったら何が起こるか?に関する研究
- 17.歩行コンテストという試み
- TSTraining理論
- キャリアラダーについてまとめてみた
- 観察による歩行分析Basic&Advance 2012に行ってきた
- WCPT2017で発表してきた