出力が入力を超える、ってホンマなんやなぁ、タッツー。

2017年8月17日 20時00分36秒 (Thu)

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夕方、院内研修会(第1回)。
テーマは『診療ガイドラインを活用しませんか?』
たくさん集まってもらいました。

あ、ウエノハラ士長の顔が入ってもうた。

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1番嬉しかった感想。
OTさん。

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1番熱かった感想。
STさん。



タッツーのブログ、『教育の奇跡』から一部。

私が知って驚倒したのは、「教師は自分が知らないことを教えることができ、自分ができないことをさせることができる」という「出力過剰」のメカニズムが教育制度の根幹にあるということである。
それが教育制度の本質的豊穣性を担保している。
教師であるためには一つだけ条件がある。一つだけで十分だと私は思う。
それは教育制度のこの豊穣性を信じているということである。
自分は自分がよく知らないことを教える。なぜか、教えることができる。
生徒たちは教師が教えていないことを学ぶ。なぜか、学ぶことができる。
この不条理のうちに教育の卓越性は存する。それを知って「感動する」というのが教師の唯一の条件だと私は思う。
長い時間をかけて、この巧妙な制度を作り上げた先人たちの知恵に敬意を払うこと、それだけが教師の条件だと私は思う。
もし、生徒たちが学んだことは、どれも教師がすでに知っていたことの一部を移転したにすぎないと思っている教師がいたとしたら、私は「そのような人間は教卓に立つべきではない」と思うし、当人にはっきりそう告げるだろう。
その人には「教育制度に対する敬意がかけている」からである。
教育制度に敬意を持てないものは教師になるべきではない。
教育の奇跡とは、「教わるもの」が「教えるもの」を知識において技芸において凌駕することが日常的に起きるという事実のうちにある。
「出力が入力を超える」という事実のうちにある。
豊かな専門知識を持ち、洗練された教育技術を駆使できるが「教育の奇跡」を信じていない教師と、知識に貧しく、教え方もたどたどしいが「教育の奇跡」を信じている教師が他の条件を同じくして教卓に立った場合、長期的には後者の方が圧倒的に高い教育的アウトカムを達成するだろう。
私の経験はそう教えている。





…正直、いくらガイドラインの話をしても一緒や、って、心のどこかで思ってたん。
反省しないと。
教育は奇跡を起こせるんだ、ってことが腑に落ちた、そんな時間でした。

あ、第2回が8月下旬にあるので、それが済んだらスライドここにアップしますね。

明日はお休みです。
かみさんとガキどもと梅丈岳に行ってかわらけ投げしてきます。
いっぱいお願いしないといけないことがあるん。
かわらけを柵で粉々にしないように気をつけマッスル。

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プロフィール

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ニックネーム
中谷知生

Tomoki Nakatani
所在地
兵庫県宝塚市にある、宝塚リハビリテーション病院に勤めています。
職業
理学療法士です。

Certificated physical therapist in Neurology

自己紹介
I am interested in physiotherapy for improvement of gait ability of a patient with stroke hemiplegia.
And I'm a member of Japan Physical Therapy Association stroke guideline crew.

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