「やるぞ!」の気持ち!!!

2016年11月2日 21時20分16秒 (Wed)

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あさいち、2階ナカさんの患者さんのジャッジ。
長下肢装具作成してから、極めて順調な経過。
最近どんなトレーニングしてる?って訊いたら、
「最近T-Supportを使う機会を減らしてます」ってナカさん。

これ、短下肢装具とT字杖。
緑がガストロ、水色が前脛骨筋。
ほら、踵接地時に同時収縮が起きてるやん?

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T-Supportつけるやん?
患者さん楽に歩くやん?
同時収縮なくなるやん?
この患者さん、ガストロの筋緊張高くて、立脚期に膝のエクステンションスラストの要因になってるの。
もう本当に、教科書通りに、立脚期のガストロの過緊張が要因となって下腿が後ろに倒れちゃうの。
T-Supportは基本的に立脚期の膝の伸展を強める傾向があるから、エクステンションスラストが見られる症例には不向きなことが多いんだけど。
この患者さんでは、股関節屈曲モーメントの補助によってガストロが緩んで、立脚期のスラストが軽減する。
非常に面白い変化です。

というわけでナカさん、「無しでも歩けるからT-Supportを外してもよい」というのはちょっと短絡な評価なんだな、

午後、3階新人アサイくんの患者さんのジャッジをお手伝いしてたら、アサイくんから写真をもらった。
こないだまで入院してて、ボキも一緒に診させてもらう機会が多かった患者さんとの記念写真。
img_20161102-212955.png
3階のスタッフと一緒に映ってます。
あ、患者さんのお顔は起き上がり小法師で隠してます…

アサイ君が、「写真の裏にメッセージがありますよ」って。
見てみたら。

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リハビリマシンの開発や落語など
入院患者の回復意欲向上策を感じ
「やるぞ!」の気持ちが増しました。






…うれしいね。
ボキの仕事が、患者さんのやる気を引き出したんやで。
これ以上の治療行為がありますか?

それからまたいろいろあって、帰りの電車でいろいろ考えながら写真を見返してて、タッツーのあの文章を思い出した。
「特殊な能力について」って、2011年のブログから。
以下、長文なのでタッツー好き以外は読まなくてよろしくてよ。



養老先生は以前「情報」と「情報化」の違いについて教えてくださったことがある。
「情報」というのはすでにパッケージされ、その意味や有用性が周知されているもののこと。
「情報化」とは、「なまの現実」を切り出し、かたちを整えて、「情報」にパックする作業のことである。
「なまの現実」というのは、端的に言えば、「生き死ににかかわること」である。
例えば、医療の現場では、そこに疾病や傷害という「なまの現実」がある。
それを手持ちの医療資源を使い回して「どうにかする」しかない。
「こんな病気は存在するはずがない」とか「こんな病気の治療法は学校では習わなかった」という理由で診療を拒むことは許されない。
とにかく何かしなければいけない。
池上六朗先生は患者が来たら「何かする」のが治療者である、とおっしゃったことがある。
「正しい治療」をするのではない。
「何かする」のである。
治療は「結果オーライ」だからである。
人間の身体のような「なまもの」は「正しい治療」をすればさくさくと治癒するというものではない。
「正しくない治療」をしても、治療者が確信をもって行い、患者がその効果を信じていれば、身体的不調が治癒することがある。
新薬の認可がなかなか下りないのは、「画期的な新薬」を投与したグループと「これは画期的な新薬です」と言って「偽薬(プラシーボ)」を投与したグループのどちらの患者も治ってしまうので、薬効のエビデンスが得られないからである。
その点では、現代人に呪術医療を侮る資格はないのである。
池上先生は大学病院が匙を投げた難病患者を受け容れたときに、することを思いつかなかったので、とりあえず「九字を切った」ことがあるそうである。
「臨兵闘者皆陣列在前」と唱えて空中で縦横に指を切ったら、患者は治ってしまった。
池上先生は患者が来たらいつも九字を切るわけではない。
そのときは「たまたま」九字を切りたい気分になったそうである。
治療者の資質はたぶんここに現れる。
「なまもの」相手のときは、マニュアルもガイドラインもない。
「なまもの相手」というのは、要するに「こういう場合にはこうすればいいという先行事例がない」ということだからである。
どうしていいかわからない。
どうしていいかわからないときにでも、「とりあえず『これ』をしてみよう」とふっと思いつく人がいる。
そういう人だけが「なまもの相手」の現場に踏みとどまることができる。
どうしていいかわからないときにも、どうしていいかわかる。
それが「現場の人」の唯一の条件だと私は思う。
私が知り合った「理系の人たち」はどなたもそういう「なまの現場」に立っている方たちである。
現場にとどまり続けるためには「わからないはずなのだが、なんか、わかる」という特殊な能力が必要である。
そのことを先端研究にいる人たちはみんな熟知している。
だから、その「特殊な能力」をどうやって高いレベルに維持するか、そのことに腐心する。
先に名前を挙げた方たちのふるまいをみていると共通点がある。
それは「やりたくないことは、やらない」ということである。
これは領域を問わず、先端的な研究者全員に共通している。
やりたくないことを我慢してやっていると、「わからないはずのことが、わかる」というその特殊な能力が劣化するからである。
どうしてだか知らないけれど、そうなのである。
だから、自分に負託された使命が切迫している人ほど「特殊能力の維持」のために、さまざまなパーソナルな工夫を凝らすようになる。
池上先生が水に潜ったり、三砂先生が着物を着たり、池谷さんがワインとクラシックにこだわったり、茂木さんが旅したりするのは、それぞれのしかたで「そうすると、自分の特殊な能力が上がる」ことがわかっているからである。
別に趣味でなさっているわけではないのである。
「やりたくないことは、やらない」という厳しい自律のうちにある人たちは、だから総じていつも上機嫌である。
上機嫌であることが知性のアクティヴィティを向上させることを彼らは知っているから、「決然として上機嫌」なのである。
オープンマインドとハイ・スピリット。
これが知的にアクティヴな人の条件である。
そういう人たちが「ダマ」になっている学術領域は「生きがいい」ところである。
不機嫌な人や、威圧的な人や、心の狭い人や、臆病な人や、卑屈な人がマジョリティを占めているような学術領域は「先がない」。
現在のその学術領域に配分されている予算や、大学教員のポスト数や、メディアへの出場頻度や、政府委員の数や、受勲者リストの長さなどとは何の関係もなく、「先がない」のである。
ある学術領域が「生きている」かどうかは、そのフロントランナーたちが「なまもの」を扱っているかどうかで決まる。
第一線に立つ人たちが、「それをどう扱っていいか、まだ誰も知らない素材」を扱っているかどうかで決まる。
私はそんなふうに考えている。





…さて、石原さとみのドラマ見なあかんから、風呂入るわ。
じゃあの。

コメント

たんぽ登録ユーザー

無題
毎日ありがとうございます。
ブログで、変わらず勇気をもらってます。

お礼の代わりに論文をいくつかPCに送りました。
良かったら読んでみてください。
PICOについて詳しく書いてあると思い、
読んでたら中谷さんが思い浮かびました。
投稿日:2016年11月2日 23:09

中谷知生登録ユーザー

無題
〉たんぽ氏

論文、ざっと目を通しました。
ありがとうございます。
私が口酸っぱく繰り返してることが非常にきっちり論じられていて、参考になります。

まだまだエビデンスベースって言葉に脊髄反射なセラピストが多いんですよね。。。
投稿日:2016年11月2日 23:21

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中谷知生

Tomoki Nakatani
所在地
兵庫県宝塚市にある、宝塚リハビリテーション病院に勤めています。
職業
理学療法士です。

Certificated physical therapist in Neurology

自己紹介
I am interested in physiotherapy for improvement of gait ability of a patient with stroke hemiplegia.
And I'm a member of Japan Physical Therapy Association stroke guideline crew.

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