もうナカさんにドキッとしない(ドキッとしないとは言っていない)。

2016年8月23日 21時02分41秒 (Tue)

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ナカさんの患者さん。
川村義肢のテンジク兄さんのおかげさまで、めっちゃんこ早く長下肢装具が完成しました。
…で、夕方、ケアヴィラ伊丹で大事な会議があるので5時過ぎに部長とお出かけしなきゃならないというのに、どうしても今日確認しておきたいことがあって、あせりながらゲイトジャッジ。
これ、膝関節を固定して介助ループで引っ張ってる。
筋電はいつものごとく、下腿三頭筋だよ。

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引きが強くて、4月以降ボキがちょいちょい長下肢装具の歩行介助を教える機会が多いナカさん。
着実に腕を上げてきているのだ。
正直もっとへなちょこな女子だと思ってたけど、意外。
(もうあの時みたいにドキッとすることはないだらう)
これ、介助ループを使わずにT-Supportだけでスイング。
ほら、そこのあなた、この評価結果を見て、どっちで治療したい?

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膝の固定を解除して、介助ループで引っ張ると、膝屈曲しちゃう。
当然といへば当然。
だって、だから長下肢装具を作ったんだもん。

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でもね、T-Supportを使うと、これくらいは伸展位になるんだ。
あ、これ、無論、ナカさんの介助ね。
でも上手いよ。
理想を言うと、ナカさんキックを辛抱することと、もうちょっと股関節伸展を出せれば最高だね。

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ほら、銀河系で一番歩行介助が上手いトモッキーが介助したら、ロック解除の状態でもこれくらいは余裕やで。
やっぱり良い評価ができた。
良い評価ができた。

会議が終わって、それからそれから…とある人物と長電話になって…
それから病棟に戻ってジャッジのデータの取り込み作業をして、今4階に来てるスーパーエキセントリックな彼女の話で盛り上がり、そんなこんなで遅くなってしまいました。
帰り際にモリイちゃんから面白そうな本を貸してもらって、帰りの電車で読んでみた。
ええ本やね。
じゃあボキもモリイちゃんにボキの好きなタッツーの文章をあげる。
このテキストを読むと、なんかモリイちゃんの顔が浮かんでくるのだ。
2005年のタッツーのブログ、『お掃除するキャッチャー』。
以下一部抜粋。
長いぜ。


寝室からずるずると平行移動して、次はトイレと洗面所の床を磨く。
遠目でみるときれいな洗面所の床も、隅の方には綿埃と髪の毛と洗剤の粉が凝固したかなりタフなゴミが付着している。
そぎそぎ。
『エマ』を読むと、こういう「雪かき」仕事はぜんぶ「メイド」がしている。
ご主人さまたちはご飯をたべたり、葉巻を吸ったり、散歩をしたり、情事に耽ったりしている。
だが、こういう仕事をまったく経験しないまま一生を終える人間は、「何か」に触れ損なったことにはならないのだろうか。
家事は「シジフォス」の苦悩に似ている。
どれほど掃除しても、毎日のようにゴミは溜まってゆく。
洗濯しても洗濯しても洗濯物は増える。
私ひとりの家でさえ、そこに秩序を維持するためには絶えざる家事行動が必要である。
少しでも怠ると、家の中はたちまちカオスの淵へ接近する。
だからシジフォスが山の上から転落してくる岩をまた押し上げるように、廊下の隅にたまってゆくほこりをときどき掻き出さなければならない。
洗面所の床を磨きながら、「センチネル」ということばを思い出す。
人間的世界がカオスの淵に呑み込まれないように、崖っぷちに立って毎日数センチずつじりじりと押し戻す仕事。
家事には「そういう感じ」がする。
とくに達成感があるわけでもないし、賃金も払われないし、社会的敬意も向けられない。
けれども、誰かが黙ってこの「雪かき仕事」をしていないと、人間的秩序は崩落してしまう。
ホールデン・コーフィールド少年は妹のフィービーに「好きなこと」を問われて、自分がやりたいたったひとつの仕事についてこう語る。
「だだっぴろいライ麦畑みたいなところで、小さな子どもたちがいっぱい集まって何かのゲームをしているところを、僕はいつも思い浮かべちまうんだ。何千人もの子どもたちがいるんだけど、ほかには誰もいない。つまりちゃんとした大人みたいなのは一人もいないんだよ。僕のほかにはね。それで僕はそのへんのクレイジーな崖っぷちに立っているわけさ。で、僕がそこで何をするかっていうとさ、誰かその崖から落ちそうになる子どもがいると、かたっぱしからつかまえるんだよ。つまりさ、よく前を見ないで崖の方に走っていく子どもなんかがいたら、どっからともなく現れて、その子どもをさっとキャッチするんだ。そういうのを朝から晩までずっとやっている。ライ麦畑のキャッチャー、僕はただそういうものになりたいんだ。」(J・D・サリンジャー、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』、村上春樹訳、白水社、2003年、287頁)
高校生のときにはじめてこの箇所を読んだとき、私は意味がぜんぜん分からなかった。
何だよ、その「クレイジーな崖っぷち」っていうのはさ。
でも、それから大きくなって、愛したり、憎んだり、ものを壊したり、作ったり、出会ったり、別れたり、いろいろなことをしてきたら、いくつかわかったこともある。
「キャッチャー」仕事をする人間がこの世界には絶対必要だ、ということもその一つだ。
「キャッチャー」はけっこう切ない仕事である。
「子どもたちしかいない世界」だからこそ必要な仕事なんだけれど、当の子どもたちには「キャッチャー」の仕事の意味なんかわからないからである。
崖っぷちで「キャッチ」されても、たぶんほとんどの子どもは「ありがとう」さえ言わないだろう。
感謝もされず、対価も支払われない。
でも、そういう「センチネル」の仕事は誰かが担わなくてはならない。
世の中には、「誰かがやらなくてはならないのなら、私がやる」というふうに考える人と、「誰かがやらなくてはならないんだから、誰かがやるだろう」というふうに考える人の二種類がいる。
「キャッチャー」は第一の種類の人間が引き受ける仕事である。
ときどき「あ、オレがやります」と手を挙げてくれる人がいれば、人間的秩序はそこそこ保たれる。
そういう人が必ずいたので、人間世界の秩序はこれまでも保たれてきたし、これからもそういう人は必ずいるだろうから、人間世界の秩序は引き続き保たれるはずである。
でも、自分の努力にはつねに正当な評価や代償や栄誉が与えられるべきだと思っている人間は「キャッチャー」や「センチネル」の仕事には向かない。
適性を論じる以前に、彼らは世の中には「そんな仕事」が存在するということさえ想像できないからである。
家事はとても、とてもたいせつな仕事だ。
家事を毎日きちきちとしている人間には、「シジフォス」(@アルベール・カミュ)や「キャッチャー」(@J・D・サリンジャー)や「雪かき」(@村上春樹)や「女性的なるもの」(@エマニュエル・レヴィナス)が「家事をするひと」の人類学的な使命に通じるものだということが直感的にわかるはずである。
自分でお掃除や洗濯やアイロンかけをしたこともなく、「そんなこと」をするのは知的労働者にとっては純粋に時間の無駄なんだから、金を払って「家事のアウトソーシング」をすればいいじゃないか・・・というようなことを考えている「文学者」や「哲学者」たちは「お掃除するキャッチャー」の心に去来する涼しい使命感とはついに無縁である。





…ま、そういうこと。

コメント

モリイ登録ユーザー

無題
素敵な文章をありがとうございます。
投稿日:2016年8月23日 22:34

中谷知生登録ユーザー

無題
>モリイちゃん

おぉ、ええんやで。
投稿日:2016年8月24日 01:28

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中谷知生

Tomoki Nakatani
所在地
兵庫県宝塚市にある、宝塚リハビリテーション病院に勤めています。
職業
理学療法士です。

Certificated physical therapist in Neurology

自己紹介
I am interested in physiotherapy for improvement of gait ability of a patient with stroke hemiplegia.
And I'm a member of Japan Physical Therapy Association stroke guideline crew.

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