運命的な、何かを感じるんだけど。

2016年7月22日 23時59分59秒 (Fri)

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彩都リハのアライせんせと飲みました。
飲み会のついでに、当院の装具療法もおまけでご覧いただきました。
そして、やっぱりかおるの焼酎にやられたのでした…



「出会い」というのは、「会うべき場所で、会うべき時に、会うべき人と」出会うというかたちで成就する。
このように関与するファクターの多いイベントを「主体」は現時的与件に基づいて統御することができない。
このイベントが成就するために必要な要素のほとんどが不確定だからである。
ここである本質的な転倒が行われる。
すなわち、「出会いがすでに成就したときの私」を「第一次的主体」に措定して、現時の私を「過去の私」として遠景にしりぞけるのである。
すると、ちょうど「リールが糸を巻き取るように」、「針の穴を通した糸を引き出すように」、一直線に、一瞬の遅滞もなく、まっすぐに会うべき人との出会いのポイントへ向かう「過去の私」のさまが望見せられる。
つまり、出会った後になって、「まさにこの人に会うべくまっすぐに歩んできた私」というものが事後的に造形せらるるのである。
というようなことを書くと、「でも、どうやってその『未来の私』を想定するんですか?
未来の自分の姿を想像するのって、やっぱり『現在の私』でしょ?例えば、『ロックスターになりたい』というようなことを念じている『現時の私』が『スターになった未来の私』を想像すれば、そのとおりになるということなら、それって、結局『現在』が『未来』を支配している・・・ということになりませんか?」というような疑問を抱かれる方もおられるであろう。
ご懸念には及ばない。
「ロックスターになりたい」と念じている私が「ロックスターになった私」を作り出すのではない。
そのようなことは起こらない。
ロックスターになるような人は、はなっから、そのように宿命づけられているからである。
そういうひとは「ロックスターになりたい」なんてアバウトなことは念じたりはしないのである。
そうではなくて、「スターになったら住む家の間取り」とか「サインの練習」とか「交友関係の整理とか(「ヤマダなんかオレが有名になったらすぐに借金しに来そうだから、いまのうちに切っとこ」)のような微細にして具体的なことを子どものころからずっと考えているのである。
だから、インタビュアーに「いつごろからロックスターになりたいと思ってました?」と訊かれると、「あれはうちの裏の神社の夏祭りに三波春夫さんが来て『東京五輪音頭』を歌ったときのことでした・・・その瞬間、びりびりと電撃が走り・・・」というような話をするのであるが、それだって子どもの頃に「ロックスターになってインタビューされたときに、『いつごろからロックスターになりたいと思っていましたか?』という質問にどう答えようか」何百回も想像してきて、とりあえず思いついた100通りくらいの答えのうちのひとつにすぎないのである。
私たちは「願望Aが実現したあと」になってはじめて「願望Aをしていた過去の私」というものを事後的に「認知」する。
実は、「願望A」以外にも「願望B」、「願望C」・・・とほとんど無限の願望が私のなかには潜在的に存在していたのであるが、実現した願望についてのみ、私たちは選択的にそのようなものを願望していた「過去の私」を思い出すのである。
だから、「出会うべきときに、出会うべき場所で、出会うべき人」と出会ったというのは、別に大事件でもなんでもなくて、実は「ただの偶然」なのである。
この「ロックスター君」にしても、「作家」になっていても、「漫画家」になっていても、「ビジネスマン」なっていても、「そのようになるべく粛々と歩んできた自分」というものを「そのようなもの」になった後に、自在に事後的に構築することができるのである。
彼がそれを偶然だと思わないのは、それが潜在的「願望」に含まれていたからである。
潜在的願望と現実が合致した人間は、そこにあたかも宿命に導かれてたどりついたような「錯覚」を抱くことになる。
そう、「錯覚」なのである。
そして、「錯覚」であるにもかかわらず、「錯覚できる人間」と「できない人間」のあいだには千里の径庭がよこたわっている。
私たちは無数の「願望」を潜在的に抱いており、そのそれぞれについて「願望が実現した場合の細部」について想像をめぐらせて、そのための準備を今すぐに始めることができる。
そして、実際にわが身にどんなことが起きるか、そのほとんど99%は自力ではどうにもならない。
繰り返し申し上げるが、自分の手で未来を切り開けるということはない。
どれほど才能があって、どれほど努力をしても、それがまったく結実しないと嘆く人間がいる一方で、まるで才能もなく、ろくに努力もしていないけれど、どうも「いいこと続き」で困ったもんだとげらげら笑っている人間がいる。
その差は、自分の将来の「こうなったらいいな状態」について「どれだけ多くの可能性」を列挙できたか、その数に比例する。
当然ながら、100種類の願望を抱いていた人間は、1種類の願望しか抱いていない人間よりも、「願望達成比率」が100倍高い。
おおかたの人は誤解しているが、願望達成の可能性は、本質的なところでは努力とも才能とも幸運とも関係がなく、自分の未来についての開放度の関数なのである。
それは「未来を切り開く」という表現からはきわめて遠い態度である。
未来の未知性に敬意を抱くものはいずれ「宿命」に出会う。
未来を既知の図面に従わせようとするものは決して「宿命」には出会わない。
真に自由な人間だけが宿命に出会うことができる。







…「未来の未知性について」って、タッツーのいつものお話。

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プロフィール

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ニックネーム
中谷知生

Tomoki Nakatani
所在地
兵庫県宝塚市にある、宝塚リハビリテーション病院に勤めています。
職業
理学療法士です。

Certificated physical therapist in Neurology

自己紹介
I am interested in physiotherapy for improvement of gait ability of a patient with stroke hemiplegia.
And I'm a member of Japan Physical Therapy Association stroke guideline crew.

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