芸能人ダイエット方法

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2017年5月30日 19時15分57秒 (Tue)

人間が人間を励まし、癒し、支援する仕事は、神といえどもこれを代行することはできない。

あ、タイトルはね、タッツーの名文の一部だよ。

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午前、4階ヤマモトくんのジャッジ。
ボキのPT人生において、BRSVで史上最もキレイに歩ける可能性のある患者さんなのだ。
左が後方介助、右が後方プラス側方介助。
緑の筋電はガストロ。

ようやく質的な違いをゲイトジャッジが拾ってくれるようになってきた。
楽しみだね。


今日は何かとおもしろいことの多い一日で、3階えいやまさんの患者さんの歩行練習のお手伝いしてて、新しい発見がありました。
近々ジャッジの予定。
また報告します。

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そういえば2階のサトウくんが、こないだの愛仁会下肢装具セミナーの配布資料を見せてくれた。
講師陣は相変わらず豪華なメンバーだね。
よしおっちのスライドに、サトウくんが、「歩行の神様:増田」ってメモしている。
よしおっちがそう紹介してたんだって。
しましまぁ…それをメモするあたりがサトウくんらしい。
お礼にボキのとっておきのエロ本を貸してあげました。

//www.p-supply.co.jp/seminars/269
あ、こんど神様と一緒にパシフィックサプライ主催のセミナーします。
30名限定なのでたぶん、あっという間に埋まっちゃうんだから。
たぶん。

そういえばパシフィックサプライのホームページでね、ボキ、連載記事を書かせてもらってるんです。
//www.p-supply.co.jp/pnews/detail/385
第1回の記事は↑これ。
今日、第2回の原稿を担当さんにお送りしました。
6月15日に掲載される予定です。
おたのしみに。



…さて、今日の日記はここまで。
以下はボキの趣味みたいな部分だから、今めっちゃヒマなひと以外はここでさいなら。

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帰宅して、ワイン飲みながら夕刊読んでたん。
ちなみに我が家の新聞はボキの趣味もあって、産経ね。
豆知識な。
で、一面の記事が、緒方洪庵の適塾について。
なかなかええことが書いてある。
記事の中で、司馬遼太郎が緒方洪庵について書いた、小学生向けのエッセー『洪庵のたいまつ』が紹介されていた。

以下、全文。


世のために尽くした人の一生ほど、美しいものはない。
ここでは、特に美しい生涯を送った人について語りたい。
緒方洪庵のことである。
この人は、江戸末期に生まれた。
医者であった。
かれは、名を求めず、利を求めなかった。
あふれるほどの実力がありながら、しかも他人のために生き続けた。そういう生涯は、はるかな山河のように、実に美しく思えるのである。
といって、洪庵は変人ではなかった。どの村やどの町内にもいそうな、ごく普通のおだやかな人がらの人だった。
病人には親切で、その心はいつも愛に満ちていた。
かれの医学は、当時ふつうの医学だった漢方ではなく、世間でもめずらしいとされていたオランダ医学(蘭方)だった。そのころ、洪庵のような医者は、蘭方医とよばれていた。
変人でこそなかったが、蘭方などをやっているということで、近所の人たちから、
「変わったお人やな。」
と思われていたかも知れない。ついでながら、洪庵は大坂(今の大阪市)に住んでいた。なにしろ洪庵は、日常、人々にとって見慣れない横文字(オランダ語)の本を読んでいるのである。いっぱんの人から見れば、常人のようには思われなかったかもしれない。

洪庵は、備中(今の岡山県)の人である。現在の岡山市の西北方に足守という町があるが、江戸時代、ここに足守藩という小さな藩があって、緒方家は代々そこの藩士だった。
父が、藩の仕事で大坂に住んだために、洪庵もこの都市で過ごした。少年のころ、一人前のさむらいになるために、漢学の塾やけん術の同情に通ったのだが、生まれつき体が弱く、病気がちで、塾や道場をしばしば休んだ。少年の洪庵にとって、病弱である自分が歯がゆかった。この体、なんとかならないものだろうかと思った。
人間は、人なみでない部分をもつということは、すばらしいことなのである。そのことが、ものを考えるばねになる。
少年時代の洪庵も、そうだった。かれは、人間について考えた。人間が健康であったり、健康でなかったり、また病気をしたりするということは、いったい何に原因するのか。さらには、人体というのはどういう仕組みになっているのだろう、というようなことを考え込んだ。この少年は、ものごとを理づめで考えるたちだった。
今の言葉でいえば、科学的に考えることが好きだったといっていい。
少年は、蘭学特に蘭方医学を学びたいと思った。
幸い、この当時、中天遊(1783〜1835)という学者が、大坂で蘭方医学の塾を開いていて、あわせて初歩的な物理学や化学につても教えていた。
少年はここに入門した。主として医学を学んだのである。
中天遊からすべてを学び取った後、さらに師を求めて江戸へ行った。二十二才のときであった。
江戸では、働きながら学んだ。あんまをしてわずかな金をもらったり、他家のげんかん番をしたりした。
そのころ、江戸第一の蘭方医学の大家は、坪井信道(1795〜1848)という人だった。
ついでながら、江戸時代の習慣として、えらい学者は、ふつうその自たくを塾にして、自分の学問を年わかい人々に伝えるのである。それが、社会に対する恩返しとされていた。洪庵は、坪井信道の塾で四年間学び、ついにオランダ語の難しい本まで読むことができるようになった。

そのあと、長崎へ行った。
長崎。
この町についてあらかじめ知っておかねばならないことは、江戸時代が鎖国だったことである。
幕府は、長崎港一カ所を外国に対して開いていた。その外国も限られていて、アジアの国々では中国(当時は清国)だけであり、ヨーロッパの国々ではオランダだけだった。そういうわけで、長崎にはオランダ人がごく少数ながら住んでいたのである。
もう少し鎖国について話したい。
鎖国というのは、例えば、日本人全部が真っ暗な箱の中にいるようなものだったと考えればいい。長崎は、箱の中の日本としては、はりでついたように小さなあなだったといえる。その小あなからかすかに世界の光が差しこんできていたのである。当時の学問好きの人々にとって、その光こそ中国であり、ヨーロッパであった。
人々にとって、志さえあれば、暗いはこの中でも世界を知ることができる。例えば、オランダ語を学び、オランダの本を読むことによって、ヨーロッパの科学のいくぶんかでも自分のものにすることができたのである。洪庵もそういう青年の一人だった。洪庵は長崎の町で二年学んだ。

二十九才の時、洪庵は大坂にもどった。ここでしんりょうをする一方、塾を開いた。ほぼ同時に結こんもした。妻は、八重という、やさしくて物静かな女性だった。考え深くもあった。八重は終生、かれを助け、塾の書生たちからも母親のようにしたわれた。
洪庵は自分の塾の名を適塾と名付けた。
日本のきんだいが大きなげき場とすれば、明治はそのはなやかなまく開けだった。その前の江戸末期は、はいゆうたちのけいこの期間だったといえる。適塾は、日本の近代のためのけいこ場の一つになったのである。

すばらしい学校だった。
入学試験などはない。
どのわか者も、勉強したくて、遠い地方から、はるばるとやってくるのである。
江戸時代は身分差別の社会だった。しかしこの学校は、いっさい平等だった。さむらいの子もいれば町医者の子もおり、また農民の子もいた。ここでは、「学問をする」というただ一つの目的と心で結ばれていた。
適塾においては、最初の数年は、オランダ語を学ぶことについやされる。
先生は、洪庵しかいない。
その洪庵先生も、病人たちをしんりょうしながら教える。体が二つあっても足りないほどいそがしかったが、それでも塾の教育はうまくいった。塾生のうちで、よくできる者ができない者を教えたからである。
八つの級に分かれていて、適塾に入って早々の者は八級とよばれる。一級の人は、最も古いし、オランダ語もよくできる。各級に、学級委員のように「会頭」という者がいる。塾生全部の代表として、塾頭という者がいた。ある時期の塾頭として、後に明治陸軍をつくることになる大村益次郎がいたし、また別の時期の塾頭として、後に慶應義塾大学のそう立者になる福沢諭吉もいた。

適塾の建物は、今でも残っている。場所は、大阪市中央区北浜三丁目である。
当時、そのあたりは商家がのきをならべていて、適塾の建物はその間にはさまれていた。造りも商家風で、今日の学校という感じのものではない。門もなければ運動場もなく、あるのは二階建てのただの民家だった。
その二階が塾生のね起き場所であった。そして教室でもあった。塾生たちは、そこでひしめくようにしてくらしていた。夏は暑かったらしい。
先に述べた福沢諭吉は、明治以後、当時を思い出して、「ずいぶん罪のないいたずらもしたが、これ以上できないというほどに勉強もした。目が覚めれば本を読むというくらしだから、適塾にいる間、まくらというものをしたことがない。夜はつくえの横でごろねをしたのだ。」という意味のことを述べている。

洪庵は、自分自身と弟子たちへのいましめとして、十二か条よりなる訓かいを書いた。その第一条の意味は次のようで、まことにきびしい。
医者がこの世で生活しているのは、人のためであって自分のためではない。決して有名になろうと思うな。また利益を追おうとするな。ただただ自分をすてよ。そして人を救うことだけを考えよ。

そういう洪庵に対し、幕府は、
「江戸へ来て、将軍様の侍医(奥医師)になれ。」
ということを言ってきた。目もくらむほどにめいよなことだった。奥医師というのは、日本最高の医師というだけでなく、その身分は小さな大名よりも高かったのである。つまり、洪庵の自分へのいましめに反することだった。
洪庵は断り続けた。しかし幕府は聞かず、ついに、いやいやながらそれにしたがった。
洪庵は五十三才のときに江戸へ行き、そのよく年、あっけなくなくなってしまった。
もともと病弱であったから、わかいころから体をいたわり続け、心もできるだけのどかにするよう心がけてきた。
ところが、江戸でのはなやかな生活は、洪庵の性に合わず、心ののどかさも失われてしまった。それに新しい生活が、かれに無理を強いた。それらが、かれの健康をむしばみ、江戸へ行ったよく年、火が消えるようにしてなくなったのである。

振り返ってみると、洪庵の一生で、最も楽しかったのは、かれが塾生たちを教育していた時代だったろう。
洪庵は、自分の恩師たちから引き継いだたいまつの火を、よりいっそう大きくした人であった。
かれの偉大さは、自分の火を、弟子たちの一人一人に移し続けたことである。
弟子たちのたいまつの火は、後にそれぞれの分野であかあかとかがやいた。やがてはその火の群が、日本の近代を照らす大きな明かりになったのである。後生のわたしたちは、洪庵に感謝しなければならない。

2017年5月29日 20時44分10秒 (Mon)

好きな人は好きな人と繋がってるな。。。

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昨日、亮介氏の応援に、東久代の運動公園に行ったんやけどね。
東久代の運動公園って、我が家からだと、能勢口で乗り換えて、JR北伊丹が最寄り駅なん。
いつも応援したあと、能勢口で図書館によるのね。
昨日もちょこっとだけ図書館に行って、こんな本借りた。
『キャリアに揺れる迷えるあなたに贈るブックガイド30』

そういえばこないだ、アライ先生と飲んでて、「大学院に行ってみるつもりはないか」、って話になったんやけどね。
ボキ、唯一行ってみたい大学院がある。
法政大学に、キャリアデザイン学専攻の修士課程があるん。
ボキ、関東に住んでたら、ここは間違いなく入学してるかな
キャリアに関しては、誰かに体系的に教えてもらわんと…って思うねん。
まぁ現実的には無理なんだけど。

で、図書館で面白そうな本を手にとったら、どこかで見覚えのある名前。
おお、この著者は法政大学のキャリアデザイン学の先生やん!
じゃぁ借りてみるか、ということで、借りた。
これがなかなか面白い本で。
キャリアに迷うヒトにおすすめする本を30冊紹介してくれているのだが。
ここにボキの好きな作家がいっぱい紹介されてるん。
橋本治、鷲田清一…そしてタッツーの本が2冊も紹介されてる!
以下はこの本に紹介されてる文章の一部。
全部キレキレやわ。


「自分はどうわからないのか?」-これを自分の頭に問うことだけが、さまざまの「わからない」でできあがっている迷路を歩くための羅針盤である。
「自分はどうわからないのか?」−それこそが、「わかる」に至るための方向である。
その方向に進むことだけが、「わからない」の迷路を切り抜ける「方法」である。
(中略)
「わからない」をスタート地点とすれば、「わかった」はゴールである。
スタート地点とゴール地点を結ぶと、「道筋」が見える。
「わかる」とは、実のところ、「わからない」と「わかった」の間を結ぶ道筋を、地図に書くことなのである。
(橋本治「わからない」という方法)

「じぶんらしさ」などというものを求めてみんなはじぶんのなかを探しまくるのだが、実際わたしたちの内部にそんなものがあるはずがない。
もしそのようなものが潜んでいるなら、そもそもそういう問いに囚われることもないはずだ。
それより、じぶんがここにいるという感覚のなかに身を置くためには、眼をむしろ外へ向けて、じぶんはだれにとってかけがえのないひとでありうるかを考えてみたほうがいい。
(鷲田清一「じぶん・この不思議な存在」)

人間の中心に『人間そのもの』『普遍的人間性』というものが宿っているとすれば、それはその人がどんな身分に生まれようと、どんな社会的立場にいようと、男であれ女であれ、大人であろうと子供であろうと、変わることはないはずである。
マルクスはそのような伝統的な人間観を退けた。
人間の個別性をかたちづくるのは、その人が『何者であるか』ではなく、『何ごとをなすか』によって決定される、マルクスはそう考えた。
普遍的人間性というようなものはない。人間は行動を通じて何かを作り出し、その創作物が、その作り手自身が何者であるかを規定し返す。
生産関係の中で『作り出したもの』を媒介にして、人間は己の本質を見て取る、というのがマルクスの人間観の基本である。
人間は食べたり飲んだり眠ったりという直接的な生理的欲求を超えて、狩猟し、採取し、栽培し、交易し、産業を興し、階級を生み出し、国家を創建する。
それは人間が動物的な意味で生きてゆくためにはもとより不要のものである。
人間がそのような『もの』を作り出すのは、『創られたもの』が人間に向かって、『自分が何者であるか』を教えてくれるからである。
人間は生産=労働を通じて、何かを作り出す。
そうして制作されたものを媒介にして、いわば事後的に、人間は自分が何者であるかを知ることになる。ちょうど透明人間の輪郭は彼が通過して割れたガラス窓の割れ具合からしか知られないように。
生産=労働による社会関係に踏み込むに先んじて、あらかじめ本質や特性を決定づけられた『私』は存在しない。
存在するのかもしれないが、そのような『私』は決して私自身によって直観されることはない。
というのは、『私を直観する』ことは、他人たちの中に投げ入れられた『私』を風景として眺めることによってしか成就しないからである。
私たちは自分が『ほんとうのところ、何者であるか』を、自分が作り出したものを見て、事後的に教えられる。
私が『何者であるか』は、生産=労働のネットワークのどの地点にいて、何を作り出し、どのような能力を発揮しており、どのような資源を活用しているのかによって決定される。
自己同一性を確定した主体がまずあって、それが次々とほかの人々と関係しつつ『自己実現する』のではない。
ネットワークの中に投げ込まれたものが、そこで『作り出した』意味や価値によって、己が誰であるかを回顧的に知る。
主体性の起源は、主体の『存在』にではなく、主体の『行動』のうちにある。
これが構造主義のいちばん根本にあり、すべての構造主義者に共有されている考え方である。
(内田樹「寝ながら学べる構造主義」)



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こないだのトライやるの中学生の感想文。
『ひつじの鳴き声とやぎの鳴き声が面白かった』
 

…これの2分50秒前後からや。
やっぱすごいな。
いとこい師匠の漫才って。
ハスイくん、次はカマキリのものまねやな。



今日はね、ガイドライン作成委員がらみのグチとか、あるいは阪神ファンの患者さんが作った黄色と黒の装具とか…いろいろ書いておきたいことがあったけど。
また明日書くわ。

じゃあの。

2017年5月28日 21時54分46秒 (Sun)

今日はやきう優先。

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今日は愛仁会のセミナーか、むすっこのやきうの応援か。
迷ったけど、家庭優先で。
5月もそうだったけど、6月も結構家を開けるもんで…なるべくね。
愛仁会の方はサトウくんとオガタさんが参加してくれていたようです。
どんな内容だったか、改めて聞いてみよう。

しかし今日は良い天気でした。

むすっこのチームの監督さんは、基本ノーサイン。
子供たち自身で考えさせるらしい。
ギリギリの接戦を制して市長旗杯ベスト4進出を決めました。
亮介氏は4番ファーストで活躍していました。



信じて成長を待つ、ってなかなかできないことだよね。
ボキも若い衆の治療をもう少し静観して、自分で考えさせるようにしないとな。

2017年5月27日 21時18分18秒 (Sat)

目的、こそが本当の幸福感をつくる。

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なんと、カジカワくんにも論文執筆依頼が来てる。
ということは…これ、ひょっとして、発表者全員に送られている!?
と考えるのが普通だよねぇ。

いやでもこうなったら、書こう。
3本。
カジカワくんもシズーカも、ぜひやってみたい、って言ってるし。
学会発表のために遠方まで一緒に来てくれて、それを論文に仕上げることにやりがいを感じてくれる若い衆が居る。
これを当たり前のことだと思ってはいけないね。
こういうチャレンジ精神を持った後輩の気持ちに応えないと。



今日は午前中、事務作業に専念するつもりやったん。
で、その事務作業の一環で、外来患者さんのことで月に1度提出せんといかん書類…これの原本が4階のデスクトップに保存されている→その書類を書くために4階に行く→目の前でハスイくんがプライムウォークを処方した患者さんのリハをしている→興味があるのでその患者さんのリハを見学する→見学しているところに外出直前の患者さんの歩行トレーニング(5単位)を予定外でねじ込んで…という流れで、結局病棟に長居することになりました。
でも勉強になったよ。
ちょっとだけ、久しぶりに1人で患者さんを診させてもらって。
2人で診るのもええけど、1人で診るのもええなぁ。

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午後、ベネッセさんの有料老人ホーム、メディカルホームグランダ逆瀬川・宝塚へ。
ベネッセさん主催の『健康フェア』で講演。
STツツミウチくんと、PTウエダくんと3人で行ってきました。
参加者は20名ほど。

まずはツツミウチくんの『加齢による食べる能力の変化』
めっちゃわかりやすかった。
ほんまによかった。

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続いてボキが『カレー会議』…のはずだったんだけど。
会場の雰囲気が、うん、違うな、と思って。
急遽『つる』に差し替えました。

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講演&落語のあとは、来場者さんの身体機能測定会。
ツツミウチくんが舌圧測定。
ボキとウエダくんは柔軟性の評価に対するストレッチングの指導。

難しかったなぁ、ウエダくん。
自分がストレッチングについていかに知識が無いか実感したわ。
でもよく頑張ってくれました。
リハ病院のセラピストとして、この手のイベントをもっともっとやっていかなきゃね。




落語道具を抱えて、病院に戻ったのが午後5時すぎ。
今日はチンで帰宅しよう…と思ってたけど、定時直前にデスクに戻ってきたウエノハラさんがボキと教育のことについていろいろお話をしたそうな雰囲気…だったので、ディスカッション。
『ラダーを作って、目標設定を見える化して、じゃぁ最終的にその先に、セラピストとしてというよりも、1人の人間として、どんな良いことを提供してあげられるの?』
って深すぎて面白いテーマ。
そこはね、ボキも、身近な若い衆と学術の話をしてて、いっつも突き当たる壁なんだよね。
現状、うちの学術活動って、若い衆の「好きやからできる」って情熱に依存しすぎなような気がしてるん。
そんな真剣な話をしてたら…定時で帰るはずが、ちょっと遅くなってしまって。

帰りの電車でフェイスブックを見てたら、ザッカーバーグがハーバード大学の卒業式で語ったスピーチの日本語訳
//www.huffingtonpost.jp/keizo-kuramoto/mark-zuckerberg-harvard-speech_b_16818864.html
が公開されてて、ちょっと感動。
以下一部抜粋して、ワイン飲んで寝るわ。
(英語に自信ニキは↓の動画のジャスト6分から…ね)

 

今日、僕は「目的」について話します。
しかし「あなたの人生の目的を見つけなさい的なよくある卒業式スピーチ」をしたいわけではありません。
僕らはミレニアル世代なんだから、そんなことは本能的にやっているはずです。
だからそうじゃなくて、今日僕が話したいことは、「自分の人生の目標を見つけるだけでは不十分だ」という話をします。
僕らの世代にとっての課題は、「"誰もが"目的感を人生の中で持てる世界を創り出すこと」なのです。
ジョン・F・ケネディがNASA宇宙センターを訪れた時のエピソードで僕の大好きなものがあります。
ホウキを持ってる門番にケネディが何をしてるのかと訪ねたら彼はこう答えました。
「大統領、私は人類を月に送る手伝いをしているのです」。
「目的」というのは、僕ら一人ひとりが、小さな自分以上の何かの一部だと感じられる感覚のことです。
自分が必要とされ、そしてより良い未来のために日々頑張っていると感じられる感覚のことなのです。
「目的」こそが本当の幸福感をつくるものなのです。
あなたがたは、このことが特に重要な時代に生きています。
僕らの両親が卒業した時には、「目的感」は仕事や、教会や、コミュニティがたしかに与えてくれました。
しかし今は、テクノロジーと自動化技術が沢山の仕事を消し去っていっています。
コミュニティへの所属感も消えてきている。
多くの人が取り残され、抑圧されていると感じ、その空白感をなんとか埋めたいとあがいている。
(中略)
この社会を前に進めること、それが僕ら世代の課題です。
新しい仕事を作るだけじゃなくて、あたらしい「目的感」をも作り出さなくちゃいけない。
カークランド寮の自室でフェイスブックを立ち上げた夜のことを思い出します。
Noch's ピザ・レストランに友達のKXと一緒に行きました。
僕はこう言ったことを覚えています。
「今日僕がハーバードのコミュニティを繋いだってことには凄い興奮してるけど、でもそのうち誰かが世界中の人を繋ぐだろう」。
ここで重要なことは、「自分じゃないかもしれないが、誰かがやるだろう」というこの感じです。
僕らはただの大学生のガキで、業界のことは何も知らなかった。
大きなリソースのある色んなデカイIT企業がいくつもあってそれぞれが色々やってる。
そのうちのどこかがやるだろうと思った。
しかしこのことだけは物凄く確かにわかっていたんです・・・"人々は繋がりたがってる"ということだけは。
だから僕らは毎日やることをやって前に進むだけなんです。
あなたがたの多くにも、似たような話があるはずです。
「誰かが起こすであろう"ある変化"」があって、そのことが自分には明確に見えているという感じが。
しかし「誰か」がやるんじゃないんです。
"あなたが"やるんです。
ただ、自分の人生の目標をそこで見つけるだけでは十分ではありません。
あなたは、誰か他の人にもその「人生の目標」が持てるようにしてあげなくてはいけない。





…まぁ、これは、なかなか難易度の高いスピーチだとは思う。
あかん、まとまらんわ。
おやすみ。

2017年5月26日 21時33分48秒 (Fri)

シズーカにも!

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久しぶりに近所のレンタルビデオ屋さんで映画借りて来たん。
思いっきり鬱な映画を見たくって、ダンサーインザダーク。

…想像以上の鬱展開でした。
当初監督は最後に息子の眼の手術が失敗する台本書いてた、っていうんだから、すごいわ。
しかしビョークの歌声ってくせになるな。

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あ、シズーカにも論文投稿依頼が来たって!
『これって、抄録のデータをそのまま送ったらいいんですか?』
って言うシズーカ。

ちゃうで。



しかしどうしよう。
論文の指導も、事業所が別やとやっぱり大変やな…


プロフィール画像
ニックネーム
中谷知生
所在地
兵庫県宝塚市にある、宝塚リハビリテーション病院に勤めています。
職業
理学療法士です。

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